その人物は後に僕の社長さんになってくれた谷口寿一だった。
初めに会ったのは確かに2001年11月の半ばのことだと思っている。
当時、研究生だった僕は万が一のためにパソコンの購入を考えていた。
その時借金がまだちょっと残っていたから現金では無理があった。ローンもできなかったし、仕方なくオーナーに頼んだ。お金の貸しは難しいたと言われた。
ようやく、ローンの名義人になってくれるとの返事をもらった。
嬉しかった。オーナーのある程度の信用を得たと思ったら気持ちもよかった。
NECのノートパソコンを6回ローンで買った。2001.11.7のことだ。
オーナーも買った。でも、寝る時間さえ不足だったオーナーに必ずしも必要なものではなかったのが後日分かって凄く後悔していたのをしばしば聞いたのである。
オーナーに今でも感謝するのは、従業員に対して凄く責任を持ってくれたし、お客さんにも僕のことを必要以上にアピールしたのである。例えば、一人で来日してここまで頑張ったとか、日本語がうまいだとか、頭が賢いだとかなどいつも褒めてくれたし、営業時間より遅くなった時には終わってからでもビール飲みに焼肉店にも良く連れて行かれた。行って肉の八割近くはオーナーが食べたビールとか飲まないオーナーはジュースとかウロン茶で...僕はビール4,5杯に肉を食べた。
社長さんに会った日も例外ではなかった。僕を社長さんに一生懸命褒めてあげたのである。
社長さんはいつも若い女の子と来ていた。後日分かったのですが、社長さんと10年以上一緒に頑張った女性である。日にちの経つによって、社長さんは週三回ぐらい来るようになったのである。そして、いつのまにかぼくを注視している気がした。そして、しばしば仕事の話も僕に聞かせてくれたのである。今日は台湾の帰りたとか、台湾に金型を送ったとか、ピン屋と総代理店契約したとか...
そんな状態が続き、時は2002年3月に入ろうとしていた頃の話だ。
その日も、社長さんは来たのだ。そして、まもなくして僕に自分の会社にパソコンの勉強に来てくれないかと言われた。チャンスだと思った。すぐ返事して、その日の営業が終わってからオーナーと一緒にバイクに乗って会社まで住所の確認をしたのだ。
会社は二階建てで一階は検査室、物置き場など、二階は事務室だった。
その翌週月曜日、2002.3.4からかいしゃでのアルバイトが始まった。昼12時から3時半までだった。会社は店から2キロはなれていたので時間的には十分だった。給料は安かった。10万円しなかったが、勉強できるものは多かった。会社の従業員は僕を含めて6人だった。主に冷間鍛造金型とかピンなどの工具を国内販売とか、台湾輸入して販売する商社だったのである。
初期、社長さんからはいろいろ頂いた、スーツも新しく作って頂いたし、研究生の学費10万円も会社が払って頂いたのである。
そして、2003年3月から正式に社員になって、2006年10月末まで頑張って、勉強したのである。
会社を離れた今でもずっと思い出しながら連絡も取っているし、感謝の気持ちで頑張っているのである。
次回は会社でのサラリマン生活と就職を望んでいる方たちに僕の経験を分かりやすくまとめようとおもっているのである。力になれたら嬉しい。
初めに会ったのは確かに2001年11月の半ばのことだと思っている。
当時、研究生だった僕は万が一のためにパソコンの購入を考えていた。
その時借金がまだちょっと残っていたから現金では無理があった。ローンもできなかったし、仕方なくオーナーに頼んだ。お金の貸しは難しいたと言われた。
ようやく、ローンの名義人になってくれるとの返事をもらった。
嬉しかった。オーナーのある程度の信用を得たと思ったら気持ちもよかった。
NECのノートパソコンを6回ローンで買った。2001.11.7のことだ。
オーナーも買った。でも、寝る時間さえ不足だったオーナーに必ずしも必要なものではなかったのが後日分かって凄く後悔していたのをしばしば聞いたのである。
オーナーに今でも感謝するのは、従業員に対して凄く責任を持ってくれたし、お客さんにも僕のことを必要以上にアピールしたのである。例えば、一人で来日してここまで頑張ったとか、日本語がうまいだとか、頭が賢いだとかなどいつも褒めてくれたし、営業時間より遅くなった時には終わってからでもビール飲みに焼肉店にも良く連れて行かれた。行って肉の八割近くはオーナーが食べたビールとか飲まないオーナーはジュースとかウロン茶で...僕はビール4,5杯に肉を食べた。
社長さんに会った日も例外ではなかった。僕を社長さんに一生懸命褒めてあげたのである。
社長さんはいつも若い女の子と来ていた。後日分かったのですが、社長さんと10年以上一緒に頑張った女性である。日にちの経つによって、社長さんは週三回ぐらい来るようになったのである。そして、いつのまにかぼくを注視している気がした。そして、しばしば仕事の話も僕に聞かせてくれたのである。今日は台湾の帰りたとか、台湾に金型を送ったとか、ピン屋と総代理店契約したとか...
そんな状態が続き、時は2002年3月に入ろうとしていた頃の話だ。
その日も、社長さんは来たのだ。そして、まもなくして僕に自分の会社にパソコンの勉強に来てくれないかと言われた。チャンスだと思った。すぐ返事して、その日の営業が終わってからオーナーと一緒にバイクに乗って会社まで住所の確認をしたのだ。
会社は二階建てで一階は検査室、物置き場など、二階は事務室だった。
その翌週月曜日、2002.3.4からかいしゃでのアルバイトが始まった。昼12時から3時半までだった。会社は店から2キロはなれていたので時間的には十分だった。給料は安かった。10万円しなかったが、勉強できるものは多かった。会社の従業員は僕を含めて6人だった。主に冷間鍛造金型とかピンなどの工具を国内販売とか、台湾輸入して販売する商社だったのである。
初期、社長さんからはいろいろ頂いた、スーツも新しく作って頂いたし、研究生の学費10万円も会社が払って頂いたのである。
そして、2003年3月から正式に社員になって、2006年10月末まで頑張って、勉強したのである。
会社を離れた今でもずっと思い出しながら連絡も取っているし、感謝の気持ちで頑張っているのである。
次回は会社でのサラリマン生活と就職を望んでいる方たちに僕の経験を分かりやすくまとめようとおもっているのである。力になれたら嬉しい。
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코멘트 (2)
다음집도 기대하겠습니다.
今はそのお世話になった社長のどこじゃなくて、他の会社で頑張ってることですか?
そういうバターンで就職決まった人の話とかよく聞くけど、ある意味ラッキーかも、
あたしも、来年卒業なんだから、、就活頑張らないと!
そういうバターンで就職決まった人の話とかよく聞くけど、ある意味ラッキーかも、
あたしも、来年卒業なんだから、、就活頑張らないと!
