二人の女性「私が一番好きだったKさんと私を一番支えてくれたSさん」についてもう一寸触れたいと思う。
私が一番好きだったKさんは韓国の某大学を卒業して日本に留学してきた。Kさんは四人家族もう一人の妹がいるという。父は酒鬼でいつも酔っ払って母を殴ったという。それでKさんの母は離婚して日本にきて日本人の男性と結婚している。彼女と母がそっくり似ていることで彼女が大学の時代はいつも父に暴力を振られたという。それを四年も我慢して大学を卒業したらすぐ母の所に来たのである。彼女は電話でその話を私に言った時は彼女は泣いた。私も泣きそうになったけど、我慢していた。それから彼女との仲は急接近することになる。彼女はビリヤードやゲームが好きでいつもよく一緒に遊んでいた。ビリヤードは特にうまくて、私も中国の時はよく遊んでたけど、偶には負けたりする。居酒屋の仕事を変えたときのことである。週末に向かえって居酒屋の仲間と飲みに行ってカラオケまで行ったらもう夜中の2時過ぎたのである。私も結構酔っ払ったけど、いつものように彼女に電話を掛けた。彼女はとても不愉快な声で「家に早く帰って寝て」と言って電話をきた。朝、電話メモリをみたら彼女に電話を何回も掛けたことが判明した。それを知り、本当に死にたい気分であって自分が自分の事が許せなかった。次に学校で彼女とあったけど、声をかけることができず、2週間も無口で終わってしまった。結局、3週間目で彼女に話を掛けたものの、彼女の冷たい態度でもう終わったと認識したのである。早めに謝っておけば・・・・その後、何回も謝ったけど、もう出遅れであった。その後、彼女は東京大学院に進学し、電話番号も変えてしまった。幸い、私が東京大学の付近でアルバイトをしたので、一回は彼女と会うことができた。駅構内のエスカレーターで彼女は上り、私は下りを乗ったのでお互いに見つめながら声は掛ける事ができなかった。本当に山ほどの言いたいことがあったのに挨拶の言葉も口にすることができなかった。今になっていい宝物として心の底に蓄積しておきながら彼女の幸せを願うことである。
私を一番支えてくれたSさんは年上の男ができたよといつも口にしていた。多分、私を弟だと思っていたかもしれない。彼女はとても頑張り屋で一所懸命働いている反面、お金の使い方も荒かった。よく、ショッピングや食事に行ったりするけど、いつも彼女払いで終わる。私より一歳年上だったので親友だと思っているのに、私も男なのでそれが許せなかった面も多かった。それで食事に行く前に「今回は私が払うよ、じゃないと行かないよ」ってよく言ってた。でも、彼女に先に払われる場合が多かった。一番、印象に残るのは私がK大学に進学した時事である。入学金と学費で70万円を払わなければいけなく、あっちこっち電話をしたらみんな学費で大変な時期であった。それで彼女に電話をしたら、30万を貸してくれた。彼女も学費があるのに、「自分は分割払いで良いから先に使っていいよ」といわれた。とても感動した。それから、3ヵ月後30万全額返済日に彼女は私に5万円をくれながら「服も買って、お洒落にして彼女も作ってね」と、実はその時、私の口座には何千円しかなかったけど、「お金はあるからいいよ」言った。それでも彼女は「分かっているから・・・」。結局、そのお金は貰ったけど、成功したら何百倍で返すつもりである。こんな彼女も日本の社会を理解できなくて、泣きながら電話来る時があった。今は、どこにいるかはわからないけど、絶対会えると信じているし、永遠忘れない恩人である。
私が一番好きだったKさんは韓国の某大学を卒業して日本に留学してきた。Kさんは四人家族もう一人の妹がいるという。父は酒鬼でいつも酔っ払って母を殴ったという。それでKさんの母は離婚して日本にきて日本人の男性と結婚している。彼女と母がそっくり似ていることで彼女が大学の時代はいつも父に暴力を振られたという。それを四年も我慢して大学を卒業したらすぐ母の所に来たのである。彼女は電話でその話を私に言った時は彼女は泣いた。私も泣きそうになったけど、我慢していた。それから彼女との仲は急接近することになる。彼女はビリヤードやゲームが好きでいつもよく一緒に遊んでいた。ビリヤードは特にうまくて、私も中国の時はよく遊んでたけど、偶には負けたりする。居酒屋の仕事を変えたときのことである。週末に向かえって居酒屋の仲間と飲みに行ってカラオケまで行ったらもう夜中の2時過ぎたのである。私も結構酔っ払ったけど、いつものように彼女に電話を掛けた。彼女はとても不愉快な声で「家に早く帰って寝て」と言って電話をきた。朝、電話メモリをみたら彼女に電話を何回も掛けたことが判明した。それを知り、本当に死にたい気分であって自分が自分の事が許せなかった。次に学校で彼女とあったけど、声をかけることができず、2週間も無口で終わってしまった。結局、3週間目で彼女に話を掛けたものの、彼女の冷たい態度でもう終わったと認識したのである。早めに謝っておけば・・・・その後、何回も謝ったけど、もう出遅れであった。その後、彼女は東京大学院に進学し、電話番号も変えてしまった。幸い、私が東京大学の付近でアルバイトをしたので、一回は彼女と会うことができた。駅構内のエスカレーターで彼女は上り、私は下りを乗ったのでお互いに見つめながら声は掛ける事ができなかった。本当に山ほどの言いたいことがあったのに挨拶の言葉も口にすることができなかった。今になっていい宝物として心の底に蓄積しておきながら彼女の幸せを願うことである。
私を一番支えてくれたSさんは年上の男ができたよといつも口にしていた。多分、私を弟だと思っていたかもしれない。彼女はとても頑張り屋で一所懸命働いている反面、お金の使い方も荒かった。よく、ショッピングや食事に行ったりするけど、いつも彼女払いで終わる。私より一歳年上だったので親友だと思っているのに、私も男なのでそれが許せなかった面も多かった。それで食事に行く前に「今回は私が払うよ、じゃないと行かないよ」ってよく言ってた。でも、彼女に先に払われる場合が多かった。一番、印象に残るのは私がK大学に進学した時事である。入学金と学費で70万円を払わなければいけなく、あっちこっち電話をしたらみんな学費で大変な時期であった。それで彼女に電話をしたら、30万を貸してくれた。彼女も学費があるのに、「自分は分割払いで良いから先に使っていいよ」といわれた。とても感動した。それから、3ヵ月後30万全額返済日に彼女は私に5万円をくれながら「服も買って、お洒落にして彼女も作ってね」と、実はその時、私の口座には何千円しかなかったけど、「お金はあるからいいよ」言った。それでも彼女は「分かっているから・・・」。結局、そのお金は貰ったけど、成功したら何百倍で返すつもりである。こんな彼女も日本の社会を理解できなくて、泣きながら電話来る時があった。今は、どこにいるかはわからないけど、絶対会えると信じているし、永遠忘れない恩人である。
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