上野「アメ横」は昔の名残リ
東京の店は世界各地の珍しい品物がそろっています。ただ値段が大変高いです。ほんとうに舌を巻いています。ところが、上野駅の近くにあるアメヤ横丁に私は興味を持つようになりました。
百を数える小さい店が並んでいます、品物は店内から道端まで出ています。店員さんは大体男性です。「いらっしゃい、いらっしゃい」。魚を売る店員さんの呼び声と、地方からの買物客の詑がまじっています。電車が通るとゴロゴロとひびく音、私の耳にまるで交響楽のように聞こえます。「おまけ、おまけだよ。千円だ、千円だ」。ひっきりなしに来る買物客の前にえびを売るおじいいさんが興奮します。 「一山千円、一山千円」と呼びながら山にまた一山を添えます。アメヤ横丁がこんなに買物客を引きつげるのは、商品がそろっているからです。ここ独特の雰囲気があるような気がします。現代化している大都市の中で、ここだけは昔の東京の名残りをとどめているように思っています。私はアメヤ横丁をあちらこちらと歩き回り、そんなふうに観察しました。ここへ来るたびに、大勢の外国人観光客が見物している姿を目にします。たぶん、私と同じ気持ちでしょう。昔の東京の風情を知るためにやって来ます。
私は日本で一つ感心したことがある。それは、新しいものと古いものの結合を実に上手にすることです。日本人の衣食住の生活では、日本の伝統文化を忘れることなく守っている。これは本当に珍しいことであると思っています。
アメ横最北入口

JRの高架に沿って進むとアメヤ横丁

JR高架に沿って左方向に進むとJR御徒町駅方向、右方向に進むと上野松坂屋へ

PS:<< アメ横の由来 >> 上野駅の広小路口出口を出てガード沿いに中央道りを渡るとそこが「アメ横 」です。乾物、日用雑貨、お菓子、食料品、生魚店など沢山の種類のお店が所狭しとならんでいます。年末にここを訪れると、その人の多さにはびっくりします。 アメ横の始まりは、戦後すぐに闇市(許可を得ていないで商売をする市場)が出来、その後、復員者たちでつくった団体が国鉄のガード下を借り受け、 希望者に貸し出しました。
錦糸町でサツマイモのでんぷんで飴をつくっていた業者が店を借りて商売を始 めると、砂糖が買えない時代だったので飛ぶ様に売れ、いろいろな種類の飴を売る店が100軒ほども集まったそうです。ここから「アメ屋横丁」と呼ばれる ようになったそうです。また、朝鮮戦争(1950年)ごろから、米兵達が小遣い稼ぎに様々な物資を持ち込んで、アメリカ軍の物資が大量に出回りました。 こうして「アメリカ横丁」とも呼ばれたそうです。 「アメ屋横丁」と「アメリカ横丁」が混ざって「アメ横」となったそうです。 昭和45年に「アメ横」は商標登録されています。
東京の店は世界各地の珍しい品物がそろっています。ただ値段が大変高いです。ほんとうに舌を巻いています。ところが、上野駅の近くにあるアメヤ横丁に私は興味を持つようになりました。
百を数える小さい店が並んでいます、品物は店内から道端まで出ています。店員さんは大体男性です。「いらっしゃい、いらっしゃい」。魚を売る店員さんの呼び声と、地方からの買物客の詑がまじっています。電車が通るとゴロゴロとひびく音、私の耳にまるで交響楽のように聞こえます。「おまけ、おまけだよ。千円だ、千円だ」。ひっきりなしに来る買物客の前にえびを売るおじいいさんが興奮します。 「一山千円、一山千円」と呼びながら山にまた一山を添えます。アメヤ横丁がこんなに買物客を引きつげるのは、商品がそろっているからです。ここ独特の雰囲気があるような気がします。現代化している大都市の中で、ここだけは昔の東京の名残りをとどめているように思っています。私はアメヤ横丁をあちらこちらと歩き回り、そんなふうに観察しました。ここへ来るたびに、大勢の外国人観光客が見物している姿を目にします。たぶん、私と同じ気持ちでしょう。昔の東京の風情を知るためにやって来ます。
私は日本で一つ感心したことがある。それは、新しいものと古いものの結合を実に上手にすることです。日本人の衣食住の生活では、日本の伝統文化を忘れることなく守っている。これは本当に珍しいことであると思っています。
アメ横最北入口

JRの高架に沿って進むとアメヤ横丁

JR高架に沿って左方向に進むとJR御徒町駅方向、右方向に進むと上野松坂屋へ

PS:<< アメ横の由来 >> 上野駅の広小路口出口を出てガード沿いに中央道りを渡るとそこが「アメ横 」です。乾物、日用雑貨、お菓子、食料品、生魚店など沢山の種類のお店が所狭しとならんでいます。年末にここを訪れると、その人の多さにはびっくりします。 アメ横の始まりは、戦後すぐに闇市(許可を得ていないで商売をする市場)が出来、その後、復員者たちでつくった団体が国鉄のガード下を借り受け、 希望者に貸し出しました。
錦糸町でサツマイモのでんぷんで飴をつくっていた業者が店を借りて商売を始 めると、砂糖が買えない時代だったので飛ぶ様に売れ、いろいろな種類の飴を売る店が100軒ほども集まったそうです。ここから「アメ屋横丁」と呼ばれる ようになったそうです。また、朝鮮戦争(1950年)ごろから、米兵達が小遣い稼ぎに様々な物資を持ち込んで、アメリカ軍の物資が大量に出回りました。 こうして「アメリカ横丁」とも呼ばれたそうです。 「アメ屋横丁」と「アメリカ横丁」が混ざって「アメ横」となったそうです。 昭和45年に「アメ横」は商標登録されています。
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2년전에 3번째 사진에 있는 マクドナルド에서 아르바이트 하던 생각나네요. 아침부터 저녁까지 팽이처럼 돌면서 일해도.. 문밖에 까지 줄지어선 손님들때문에 자동문이 닫기지 않던일 생각하면...ㅠ.ㅠ그까짓 850엔 받으면서 그땐 너무도 잘도 참고 견딘것같어요. 시간 내서 한번 가봐야겠네요. 100엔 짜리 파인아플도 먹고싶고...ㅎㅎ
역사공부 잘하고 갑니다.^^