この文章は陽光人さんが1月13日旧掲示板に書いた文章です。
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東京電車から所感
東京での生活をしているみなさんは一番印象深いのは何よりも、通勤電車である。朝ラッシュアワー時の電車は信じられないほど混んでいる。ぎっしりと詰め込まれているため、力と技巧がなければ乗れない。
近年来、都内中心部の地価の高騰によって、住宅区が周辺各県に発展していくので、東京に勤める人にとって電車と地下鉄の中で一時間以上押し合うのは普通ということである。時間を大切にする日本人は決して通勤時間をむだにしない。立っても座ってもほとんど本とか新聞とか読んだり、ラジオの外国語講座を聞いたりして、一心不乱に乗車時間を送っていた。「さすが勤勉な日本人……」と思った。「兎と亀の競走」の亀のように、一歩一歩粘り強く努力して最終の目的地に達する。これは日本人の特徴の一つである。電車の中の細かい時間を利用して勉強したばらばらの知識を蓄えて、「ちりも積もれば山となる」のように、将来必ず役に立つのだろう。
通勤の地下鉄を「いわしの缶詰め」と喩(たと)えても過言ではないが、意外な静かさにびっくりした。みんな厳かな顔をして、周りの人の存在にまったく関係ないようである。最初に乗った時に、未来のロボット世界に闖入したように何となく不気味な感じが湧いた。電車の雰囲気をもう少し人間らしくすればいいと思う。
現代杜会の進歩と機械文明の発展によって、世の中は次第に便利になっていくが、その影響はただ生活様式の合理化にとどまらず、人間の考え方、価値観などの精神的な面にも及んだ。人と人との直接の接触は少なくなって、自然的な暖かい人間関係は人と機械との関係に代えられ、個人を中心として他人に無関心な人が多くなっている。このためにカウチ・ポテト族*(沙發和炸薯條)のように、人との接触を避ける気持ちが電車に広がっているようである。車内で女性にでたらめをいった酔漢をみて、その際、誰も彼を止めなかった。周りの人たちは自分にかかわりのない表情をしていた。人間関係をもっと深くさせることは社会全体の責任であるが、私たち自身の責任でもある。人情希薄、競争が激しい職場から暖かい自宅までの途中に、一つの気分転換の場所として、電車は至極適当なところだと思う。色とりどりの広告の中に「表情をもっと人間らしく、心をもっとやさしく」という合言葉を入れればいいのではないか。夜十時でも電車は相変わらず混んでいる。但し、表情は少し変わった。帰途の通勤者はくたびれた顔をしていて、いたる所に居眠りをする人が見える。東京の電車は半世紀間、朝は元気いっぱいな「産業大軍」を各高層ビルのオフィスに送って、東京という膨大な「経済機器」の中で精力を絞り取られ、夕方は疲れた「大軍」を騒がしい酒屋あるいは家族が待ちこがれている自宅に送り戻した。疾駆する東京の電車、いいえ、全国の電車はまさに日本経済の「大動脈」のように、勤勉で器用で、しかし、いつも満足していない日本人を満載して戦後の暗い時代を通って、世界二番目の「経済大国」という駅に到着したが、まだまだ終点ではない。いま、「電車」は円高不況などの苦境からだんだん抜け出し、ふたたび新しい旅に踏み出している。新宿、池袋、渋谷、上野の電車駅に波のように流れ込んでいく無言の通勤者の流れを見ながら、日本にとっては「終点」という駅は多分存在していないだろうと感嘆してやまなかった。
*退勤後家でソファ‧カウチに横わって、ポテトフライを食べながらテレビを見る生活様式
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東京電車から所感
東京での生活をしているみなさんは一番印象深いのは何よりも、通勤電車である。朝ラッシュアワー時の電車は信じられないほど混んでいる。ぎっしりと詰め込まれているため、力と技巧がなければ乗れない。
近年来、都内中心部の地価の高騰によって、住宅区が周辺各県に発展していくので、東京に勤める人にとって電車と地下鉄の中で一時間以上押し合うのは普通ということである。時間を大切にする日本人は決して通勤時間をむだにしない。立っても座ってもほとんど本とか新聞とか読んだり、ラジオの外国語講座を聞いたりして、一心不乱に乗車時間を送っていた。「さすが勤勉な日本人……」と思った。「兎と亀の競走」の亀のように、一歩一歩粘り強く努力して最終の目的地に達する。これは日本人の特徴の一つである。電車の中の細かい時間を利用して勉強したばらばらの知識を蓄えて、「ちりも積もれば山となる」のように、将来必ず役に立つのだろう。
通勤の地下鉄を「いわしの缶詰め」と喩(たと)えても過言ではないが、意外な静かさにびっくりした。みんな厳かな顔をして、周りの人の存在にまったく関係ないようである。最初に乗った時に、未来のロボット世界に闖入したように何となく不気味な感じが湧いた。電車の雰囲気をもう少し人間らしくすればいいと思う。
現代杜会の進歩と機械文明の発展によって、世の中は次第に便利になっていくが、その影響はただ生活様式の合理化にとどまらず、人間の考え方、価値観などの精神的な面にも及んだ。人と人との直接の接触は少なくなって、自然的な暖かい人間関係は人と機械との関係に代えられ、個人を中心として他人に無関心な人が多くなっている。このためにカウチ・ポテト族*(沙發和炸薯條)のように、人との接触を避ける気持ちが電車に広がっているようである。車内で女性にでたらめをいった酔漢をみて、その際、誰も彼を止めなかった。周りの人たちは自分にかかわりのない表情をしていた。人間関係をもっと深くさせることは社会全体の責任であるが、私たち自身の責任でもある。人情希薄、競争が激しい職場から暖かい自宅までの途中に、一つの気分転換の場所として、電車は至極適当なところだと思う。色とりどりの広告の中に「表情をもっと人間らしく、心をもっとやさしく」という合言葉を入れればいいのではないか。夜十時でも電車は相変わらず混んでいる。但し、表情は少し変わった。帰途の通勤者はくたびれた顔をしていて、いたる所に居眠りをする人が見える。東京の電車は半世紀間、朝は元気いっぱいな「産業大軍」を各高層ビルのオフィスに送って、東京という膨大な「経済機器」の中で精力を絞り取られ、夕方は疲れた「大軍」を騒がしい酒屋あるいは家族が待ちこがれている自宅に送り戻した。疾駆する東京の電車、いいえ、全国の電車はまさに日本経済の「大動脈」のように、勤勉で器用で、しかし、いつも満足していない日本人を満載して戦後の暗い時代を通って、世界二番目の「経済大国」という駅に到着したが、まだまだ終点ではない。いま、「電車」は円高不況などの苦境からだんだん抜け出し、ふたたび新しい旅に踏み出している。新宿、池袋、渋谷、上野の電車駅に波のように流れ込んでいく無言の通勤者の流れを見ながら、日本にとっては「終点」という駅は多分存在していないだろうと感嘆してやまなかった。
*退勤後家でソファ‧カウチに横わって、ポテトフライを食べながらテレビを見る生活様式
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