以下の問題についてご存知の方、知っている限りでよろしいですので、よろしくお願いします。
自分の考えと比べながら、参考にしたいなあと思っていますが・・・・・・
1:株価(かぶか)が常識では考えられないほど高くなるのはなぜか?、また、妥当な価値はあるのか?
2:フォードが成功した理由と挫折した理由。
3:単なる経営者(けいえいしゃ)と違って、特に企業家に求められる資質、力量とはどういうものか?
お忙しいところ申し訳ありません。どうか、よろしくお願い致します。
自分の考えと比べながら、参考にしたいなあと思っていますが・・・・・・
1:株価(かぶか)が常識では考えられないほど高くなるのはなぜか?、また、妥当な価値はあるのか?
2:フォードが成功した理由と挫折した理由。
3:単なる経営者(けいえいしゃ)と違って、特に企業家に求められる資質、力量とはどういうものか?
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코멘트 (8)
主にこのコーナーでは、アメリカの大統領とその政策を中心に見ているわけですが、それだけがアメリカの歴史ではありません。ちょっとここで大統領の話は休憩にして、今回はアメリカの代名詞とも言える「自動車」の生産について見ていくとしましょう。経営学の領域では、必ず触れられる、フォードとゼネラル・モーターズ(GM)の攻防です。
○自動車の起源は?
キュニョーが考案した蒸気自動車。前方に蒸気エンジンを搭載。
(マイクロソフト エンカルタ エンサイクロペディア2004より)
ベンツ三輪自動車(複製 交通博物館蔵)
世界最初のガソリン・エンジン自動車です。
が、本題に入る前に、そもそも自動車って、いつ頃登場したのでしょうか。
自動車=英語でautomobileという言葉は、ギリシャ語で「自身の」を意味するautosと、ラテン語で「うごかせる」を意味するmobilisが起源だと言われています。で、今につながる自動車の起源ですが、1769年にフランス人のキュニョーが蒸気の力で動く車を製作したのが最初。ちなみに日本では、田沼意次が本格的な活躍を開始した頃になります。
また、初めて人を乗せられる自動車が出来たのは1801年。
イギリスの発明家リチャード・トレビシック(実用的な蒸気機関車も彼が開発)によって誕生し、街中でのテスト走行に成功します。
さらに、これはオートバイですが、大きくて使いづらい蒸気に代わって、小型のガソリンエンジンを実用化した物をガソリン・エンジンを動力とした乗り物をドイツ人のゴットリープ・ダイムラーが1885(明治18)年に開発しました。
これを同じ年、自動車分野に使用することに成功したのがドイツ人のカール・ベンツです。彼はガソリンエンジンを三輪車に搭載することに成功(この2人は、自動車の父と言われます)。そしてアメリカでは19世紀末、馬車の後の部分が独立したような形の自動車が誕生。これは、「馬なし馬車」と言われ、ガスで動く代物でした。
さらに20世紀にはいると直ぐに、車としての形を整えます。イギリスでは、ロールスロイスが有名ですね。
○大衆に車を~フォードの挑戦
ヘンリー・フォード
A型フォード車(模型 交通博物館蔵)
T型フォード車(模型 交通博物館蔵)
たしかに、これは質実剛健ですなあ。
フォードTT型バス(模型 交通博物館蔵)
1923年の関東大震災で打撃を受けた東京の市内電車に代わって、東京都がアメリカから輸入したバス。800台が受注され、今の都バスの起源となりました。通称:円太郎バス、だそうです。しかしこれも質実剛健(笑)。
こうして、登場からあっという間に技術革新をした車でしたが、庶民にはとうてい高嶺の花でした。これを何とか、庶民が気軽に買えるようにしたい、そう考えた人物がいました。ヘンリー・フォード(1863~1947年)です。ミシガン州ディアボーン近郊の農家に生まれ、エジソン電気会社で電気工、そしてチーフエンジニアを務めた彼は、仕事を終えると自動車の組み立てに没頭。エジソンの激励もあって、1896年に自動車の組み立てに成功します。そして1903年、彼はフォード社を設立しA型フォード車を発売します。
次に1908年、彼は当時思いもかけない方法で激安の車を作ったのでした。それが、T型フォード車(最高時速72km/h)。
これを生産するに当たって、とにかく合理的な生産方法を持ち込むわけです。
まず、生産する車をT型フォード1種のみとし、余計な装飾も廃し、さらに色も全ての車を黒色1色にします。つまり、作業を単純化し、同じ物を大量生産するんですね。さらに1913年からは、食肉加工工場を見て思いついたのですが、ベルトコンベアーに車の材料を載せ、各場所に固定して配置された人員に、同じ作業を次々とさせます。
つまり、AさんはAと言う作業を延々と、BさんはBという作業を延々と、ベルトコンベアーの速さに合わせて同じ作業(部品の取り付け)を繰り返していくわけですね。こうすると、当然AさんはAという作業を上手になりますし、他の作業のために移動したり、準備する事もなくなり、時間が短縮されます。そして、ベルトコンベアーに乗った材料は、Aさん、Bさん、Cさんが次々と部品を取り付けていく事によって、車の形になるのでした。
同時に、Aさん達が取り付ける部品もベルトコンベアーで流されてくるので、部品をとりに行く手間も省け、12時間かかるはずの工程が何と1時間に短縮!
こうして、高品質の製品を低価格(他社の約3分の1)で、さらに労働者の賃金も2倍にという仕組みを実現、この、製品は高品質で低価格、効率よく働く労働者には高い給料、という考え方をフォーディズムと言います。これによって、T型フォードは全米市場を席巻しました。
でも、同じ単純作業を延々とやるって、何の変化もなく、凄く辛い事で(しかも次第に惰性作業になるので、事故も起こりやすい)、同じ部分の筋肉ばかり使うし、人をロボットのごとく使っているなあと思いませんか?
喜劇王チャップリンは、映画「モダン・タイムス」の中でこれを痛烈に批判し、実際、労働者達も次々とやめていきました。賃金が他社の2倍になったのはそのためです。
○ゼネラルモーターズの反撃
とは言った物の、この安さは誰にも真似できません、と言ったところで。
こうして街中にはT型フォード車があふれ、もはや他社の付け入る隙はなく、競争に敗退していきました。1904年に、ビュイックとオールズという2つの会社を買収・合併させて誕生した大手自動車メーカーのゼネラルモーターズ(GM)も例外ではなく、一度は持ち直しますが、第1次世界大戦後の不況もあって、大損益を出して創業者デュラントは追い出されてしまいます(ちなみに2度目)。
ですが、ゼネラルモーターズは反撃を開始します。
そして1923年、代わって大株主会社であるデュポン社が社長に選んだのがアルフレッド・スローンという人物です。
そしてスローンは、何と1930年にはフォードを抜いてシェア1位を確保するのでした。どんな手段を使ったのでしょう。
それは、まず前提として「全ての人がT型フォード」に満足しているはずはない、という考えがあげられます。そこで、様々な階層向けに、その階層にあった車を開発。貧しい階層にはとにかく安い車を、しかし裕福な階層もいますから、そこにはとにかく高級な車を提供。毎年モデルチェンジもして、フォード車のシェアを各個撃破する戦略に出ます。って、ちょっと待って下さい。フォード社が成功したのは、車種を一本化して価格を安くしたからです。ゼネラルモーターズのやり方では、なんとかく昔に戻しただけに見えるでしょう。
フランクリン1930年型(交通博物館蔵)
アメリカのフランクリン社が1930年に製造した自動車。デザインを競い合った時代の産物の1つ。
しかし1つには、まず人々がT型フォードに飽きてきた事があります。みんな個性的な車を求めていたのです。そこを見逃さなかった点が第1点で、さらにスローンは、フォード社や、デュラントのようなワンマン型の社長システムを改め、各部門(事業部)ごとに大幅な裁量を与え、各個がそれぞれ独自の判断で活動できるようにして、柔軟性を持たせます。また、当然社長の命令はきちんと聞かせ、失敗したらその部門は責任を取ります。こうして、それぞれが競争、努力して良い製品を生み出していったのです。
このように、1つの方法が成功したからと言って、それだけに満足していると、また別の方法などに取って代わられます。
1927年にT型フォードの生産を中止し、一時は大リストラも断行したフォードでしたが、第2次世界大戦で軍需生産もあって持ち直し、その後はゼネラルモーターズなどと共に発展。そして、毎年のモデルチェンジ=さらに力強い車、格好良い=排気量が多い、車体がデカイ、こういう図式が当たり前になってきます。特にスポーツカーが人気になり、当時の日本でも、こういった車に乗る家族の映像を見て憧れたようですね。
ところが、中東戦争が勃発しますと、石油価格が上昇。こんな、燃費のかかる化け物みたいなアメリカの自動車は、とてもじゃないがお金がかかって乗れたもんじゃねえ、と言うことになります。そこで以前は「おもちゃ」として馬鹿にされていた燃費の良い日本車が注目。アメリカの自動車会社は、燃費についての研究を殆どしていなかったので、この日本車にシェアを多く奪われてしまう結果になりました。その日本車も、またいい加減な経営から会社の業績が悪化し、さらに日本から輸出するのでアメリカの労働者から恨まれ、アメリカに逆襲されます。
○自動車の起源は?
キュニョーが考案した蒸気自動車。前方に蒸気エンジンを搭載。
(マイクロソフト エンカルタ エンサイクロペディア2004より)
ベンツ三輪自動車(複製 交通博物館蔵)
世界最初のガソリン・エンジン自動車です。
が、本題に入る前に、そもそも自動車って、いつ頃登場したのでしょうか。
自動車=英語でautomobileという言葉は、ギリシャ語で「自身の」を意味するautosと、ラテン語で「うごかせる」を意味するmobilisが起源だと言われています。で、今につながる自動車の起源ですが、1769年にフランス人のキュニョーが蒸気の力で動く車を製作したのが最初。ちなみに日本では、田沼意次が本格的な活躍を開始した頃になります。
また、初めて人を乗せられる自動車が出来たのは1801年。
イギリスの発明家リチャード・トレビシック(実用的な蒸気機関車も彼が開発)によって誕生し、街中でのテスト走行に成功します。
さらに、これはオートバイですが、大きくて使いづらい蒸気に代わって、小型のガソリンエンジンを実用化した物をガソリン・エンジンを動力とした乗り物をドイツ人のゴットリープ・ダイムラーが1885(明治18)年に開発しました。
これを同じ年、自動車分野に使用することに成功したのがドイツ人のカール・ベンツです。彼はガソリンエンジンを三輪車に搭載することに成功(この2人は、自動車の父と言われます)。そしてアメリカでは19世紀末、馬車の後の部分が独立したような形の自動車が誕生。これは、「馬なし馬車」と言われ、ガスで動く代物でした。
さらに20世紀にはいると直ぐに、車としての形を整えます。イギリスでは、ロールスロイスが有名ですね。
○大衆に車を~フォードの挑戦
ヘンリー・フォード
A型フォード車(模型 交通博物館蔵)
T型フォード車(模型 交通博物館蔵)
たしかに、これは質実剛健ですなあ。
フォードTT型バス(模型 交通博物館蔵)
1923年の関東大震災で打撃を受けた東京の市内電車に代わって、東京都がアメリカから輸入したバス。800台が受注され、今の都バスの起源となりました。通称:円太郎バス、だそうです。しかしこれも質実剛健(笑)。
こうして、登場からあっという間に技術革新をした車でしたが、庶民にはとうてい高嶺の花でした。これを何とか、庶民が気軽に買えるようにしたい、そう考えた人物がいました。ヘンリー・フォード(1863~1947年)です。ミシガン州ディアボーン近郊の農家に生まれ、エジソン電気会社で電気工、そしてチーフエンジニアを務めた彼は、仕事を終えると自動車の組み立てに没頭。エジソンの激励もあって、1896年に自動車の組み立てに成功します。そして1903年、彼はフォード社を設立しA型フォード車を発売します。
次に1908年、彼は当時思いもかけない方法で激安の車を作ったのでした。それが、T型フォード車(最高時速72km/h)。
これを生産するに当たって、とにかく合理的な生産方法を持ち込むわけです。
まず、生産する車をT型フォード1種のみとし、余計な装飾も廃し、さらに色も全ての車を黒色1色にします。つまり、作業を単純化し、同じ物を大量生産するんですね。さらに1913年からは、食肉加工工場を見て思いついたのですが、ベルトコンベアーに車の材料を載せ、各場所に固定して配置された人員に、同じ作業を次々とさせます。
つまり、AさんはAと言う作業を延々と、BさんはBという作業を延々と、ベルトコンベアーの速さに合わせて同じ作業(部品の取り付け)を繰り返していくわけですね。こうすると、当然AさんはAという作業を上手になりますし、他の作業のために移動したり、準備する事もなくなり、時間が短縮されます。そして、ベルトコンベアーに乗った材料は、Aさん、Bさん、Cさんが次々と部品を取り付けていく事によって、車の形になるのでした。
同時に、Aさん達が取り付ける部品もベルトコンベアーで流されてくるので、部品をとりに行く手間も省け、12時間かかるはずの工程が何と1時間に短縮!
こうして、高品質の製品を低価格(他社の約3分の1)で、さらに労働者の賃金も2倍にという仕組みを実現、この、製品は高品質で低価格、効率よく働く労働者には高い給料、という考え方をフォーディズムと言います。これによって、T型フォードは全米市場を席巻しました。
でも、同じ単純作業を延々とやるって、何の変化もなく、凄く辛い事で(しかも次第に惰性作業になるので、事故も起こりやすい)、同じ部分の筋肉ばかり使うし、人をロボットのごとく使っているなあと思いませんか?
喜劇王チャップリンは、映画「モダン・タイムス」の中でこれを痛烈に批判し、実際、労働者達も次々とやめていきました。賃金が他社の2倍になったのはそのためです。
○ゼネラルモーターズの反撃
とは言った物の、この安さは誰にも真似できません、と言ったところで。
こうして街中にはT型フォード車があふれ、もはや他社の付け入る隙はなく、競争に敗退していきました。1904年に、ビュイックとオールズという2つの会社を買収・合併させて誕生した大手自動車メーカーのゼネラルモーターズ(GM)も例外ではなく、一度は持ち直しますが、第1次世界大戦後の不況もあって、大損益を出して創業者デュラントは追い出されてしまいます(ちなみに2度目)。
ですが、ゼネラルモーターズは反撃を開始します。
そして1923年、代わって大株主会社であるデュポン社が社長に選んだのがアルフレッド・スローンという人物です。
そしてスローンは、何と1930年にはフォードを抜いてシェア1位を確保するのでした。どんな手段を使ったのでしょう。
それは、まず前提として「全ての人がT型フォード」に満足しているはずはない、という考えがあげられます。そこで、様々な階層向けに、その階層にあった車を開発。貧しい階層にはとにかく安い車を、しかし裕福な階層もいますから、そこにはとにかく高級な車を提供。毎年モデルチェンジもして、フォード車のシェアを各個撃破する戦略に出ます。って、ちょっと待って下さい。フォード社が成功したのは、車種を一本化して価格を安くしたからです。ゼネラルモーターズのやり方では、なんとかく昔に戻しただけに見えるでしょう。
フランクリン1930年型(交通博物館蔵)
アメリカのフランクリン社が1930年に製造した自動車。デザインを競い合った時代の産物の1つ。
しかし1つには、まず人々がT型フォードに飽きてきた事があります。みんな個性的な車を求めていたのです。そこを見逃さなかった点が第1点で、さらにスローンは、フォード社や、デュラントのようなワンマン型の社長システムを改め、各部門(事業部)ごとに大幅な裁量を与え、各個がそれぞれ独自の判断で活動できるようにして、柔軟性を持たせます。また、当然社長の命令はきちんと聞かせ、失敗したらその部門は責任を取ります。こうして、それぞれが競争、努力して良い製品を生み出していったのです。
このように、1つの方法が成功したからと言って、それだけに満足していると、また別の方法などに取って代わられます。
1927年にT型フォードの生産を中止し、一時は大リストラも断行したフォードでしたが、第2次世界大戦で軍需生産もあって持ち直し、その後はゼネラルモーターズなどと共に発展。そして、毎年のモデルチェンジ=さらに力強い車、格好良い=排気量が多い、車体がデカイ、こういう図式が当たり前になってきます。特にスポーツカーが人気になり、当時の日本でも、こういった車に乗る家族の映像を見て憧れたようですね。
ところが、中東戦争が勃発しますと、石油価格が上昇。こんな、燃費のかかる化け物みたいなアメリカの自動車は、とてもじゃないがお金がかかって乗れたもんじゃねえ、と言うことになります。そこで以前は「おもちゃ」として馬鹿にされていた燃費の良い日本車が注目。アメリカの自動車会社は、燃費についての研究を殆どしていなかったので、この日本車にシェアを多く奪われてしまう結果になりました。その日本車も、またいい加減な経営から会社の業績が悪化し、さらに日本から輸出するのでアメリカの労働者から恨まれ、アメリカに逆襲されます。
두번째 질문관련~
フォードはSDRCとのパートナーシップにより成功
状況
1995年にフォードは、オペレーションの劇的な変更を目的とする大規模かつグローバルなリストラ「フォード 2000」を決行し、コスト削減、品質向上、製品の市場投入時間の短縮に力を注ぎました。この目標を達成するため、フォードのエンジニアリング部門と製造部門は、C3Pプログラムを展開。CAD、CAM、CAE、PIM(製品情報管理)システムに的を絞ることからその名前が付いたC3Pプログラムでは、部品開発、パワートレイン開発、自動車開発のすべての段階で、CAD、CAM、CAEそれぞれの環境のシームレスな統一を追及します。フォードでは、これまでに実行したことのない、設計オートメーション環境で重要な設備の見直しに取りかかりました。
フォードは、このように積極的なプロセス変更を行うため、ビジョンと戦略を理解し合い、フォードの成功をゆだねられるテクノロジのプロバイダを探し求めました。フォードがSDRCを選択したのは、 CAD/CAM/CAEとPIMの両分野でプロダクトを提供できる強み、エンジニアリングにおける伝統、パートナーとしての資質、柔軟性、技術的なビジョンが評価されたからです。
プロセスビジョン
製品エンジニアリングとプロセス情報から成る単一ソースへ、グローバルにアクセスできるようにする。
プロトタイプ作成コストを大幅に削減し、自動車開発プロセスの初期段階で、シミュレーションを幅広く活用する。
市場への投入時間を短縮する。
エンジニアリングの効率を大幅に向上する。
市場での主導権と利益率を維持、拡大するという目的を達成する。
アクション
SDRCは、SDRC-フォードテクノロジセンターをミシガン州ディアボーンに設立し、目標達成の拠点とした。ここでは85名以上のSDRCの従業員が、フォードのソフトウェアトレーニングと導入をサポートしている。フォードのヨーロッパでのオペレーションを支援するため、同じようなセンターを設立する予定。この大規模なトレーニングの一部として、今後数年で数千人がソフトウェアプロダクトの効率的な使用法に関するトレーニングを受ける。
フォードの劇的なプロセス改善プログラムをサプライヤにも波及させる。製品関連データの再作成や再フォーマットの必要をなくして製品開発プロセスをさらにスピードアップさせるため、フォードは、サプライヤがフォード関連の仕事でI-DEAS Master Series(TM)ソフトウェアに標準化することを奨励している。
結果
フォードは、CAD/CAM/CAEとPIMの導入という、大規模な新テクノロジの採用を自動車業界で最初に行いました。その結果、次のようなチャンスをつかむことになりました。
自動車メーカーとして世界的な主導権を拡大。
劇的なプロセス改善を実現し、記録的な速さと低コストで、より優れた製品を市場へ投入。
世界中のフォードのエンジニアリングチームがタイムリーかつ効果的な方法で情報を共有した結果、製品開発にコンカレントエンジニアリングやチームエンジニアリングのアプローチを取り入れる利点を獲得。
フォードはSDRCとのパートナーシップにより成功
状況
1995年にフォードは、オペレーションの劇的な変更を目的とする大規模かつグローバルなリストラ「フォード 2000」を決行し、コスト削減、品質向上、製品の市場投入時間の短縮に力を注ぎました。この目標を達成するため、フォードのエンジニアリング部門と製造部門は、C3Pプログラムを展開。CAD、CAM、CAE、PIM(製品情報管理)システムに的を絞ることからその名前が付いたC3Pプログラムでは、部品開発、パワートレイン開発、自動車開発のすべての段階で、CAD、CAM、CAEそれぞれの環境のシームレスな統一を追及します。フォードでは、これまでに実行したことのない、設計オートメーション環境で重要な設備の見直しに取りかかりました。
フォードは、このように積極的なプロセス変更を行うため、ビジョンと戦略を理解し合い、フォードの成功をゆだねられるテクノロジのプロバイダを探し求めました。フォードがSDRCを選択したのは、 CAD/CAM/CAEとPIMの両分野でプロダクトを提供できる強み、エンジニアリングにおける伝統、パートナーとしての資質、柔軟性、技術的なビジョンが評価されたからです。
プロセスビジョン
製品エンジニアリングとプロセス情報から成る単一ソースへ、グローバルにアクセスできるようにする。
プロトタイプ作成コストを大幅に削減し、自動車開発プロセスの初期段階で、シミュレーションを幅広く活用する。
市場への投入時間を短縮する。
エンジニアリングの効率を大幅に向上する。
市場での主導権と利益率を維持、拡大するという目的を達成する。
アクション
SDRCは、SDRC-フォードテクノロジセンターをミシガン州ディアボーンに設立し、目標達成の拠点とした。ここでは85名以上のSDRCの従業員が、フォードのソフトウェアトレーニングと導入をサポートしている。フォードのヨーロッパでのオペレーションを支援するため、同じようなセンターを設立する予定。この大規模なトレーニングの一部として、今後数年で数千人がソフトウェアプロダクトの効率的な使用法に関するトレーニングを受ける。
フォードの劇的なプロセス改善プログラムをサプライヤにも波及させる。製品関連データの再作成や再フォーマットの必要をなくして製品開発プロセスをさらにスピードアップさせるため、フォードは、サプライヤがフォード関連の仕事でI-DEAS Master Series(TM)ソフトウェアに標準化することを奨励している。
結果
フォードは、CAD/CAM/CAEとPIMの導入という、大規模な新テクノロジの採用を自動車業界で最初に行いました。その結果、次のようなチャンスをつかむことになりました。
自動車メーカーとして世界的な主導権を拡大。
劇的なプロセス改善を実現し、記録的な速さと低コストで、より優れた製品を市場へ投入。
世界中のフォードのエンジニアリングチームがタイムリーかつ効果的な方法で情報を共有した結果、製品開発にコンカレントエンジニアリングやチームエンジニアリングのアプローチを取り入れる利点を獲得。
세번째 질문관련~
今日、混迷する日本経済において、かつて日本を代表した大手企業がいとも簡単に崩壊していく現象が見られる。また、逆に、そんな中においても、確かな足取りで、着実に業績を上げている企業も少なくない。それは必ずしも大企業に限られたことではない。
混迷する状況下において、今なお、小規模ながらもしっかり生き続けている企業群がある。ここでは、これらの企業の経営者に対して直接インタビューを行い、彼らの経営方針や企業理念、従業員に対する考え方などを率直に語ってもらい、そこから、これからの時代を生き抜くために必要とされる経営者の資質について述べる。
それらは以下のようなものである。
① 誠実、正直、謙虚であること。
② 歴史を重んじ、先人に習い、その手法を受け継ぐとともに、これをさらに発展させ、今の時代に合ったやり方に変革させていく気概とたゆまぬ努力を怠らないこと。
③ 品質を重んじ、妥協のない品質の維持管理とその向上に努めること。
④ 技術に強く、技術に精通し、専門的見地に立った思考能力と判断力を有すること。
⑤ 失敗を恐れない大胆な行動力と、それを支える繊細で緻密な思考回路を有すること。
⑥ 従業員の力を十分に引き出せるような環境整備に努めること。
⑦ ユーモアとユニークな視点を欠かさないこと。
今日、混迷する日本経済において、かつて日本を代表した大手企業がいとも簡単に崩壊していく現象が見られる。また、逆に、そんな中においても、確かな足取りで、着実に業績を上げている企業も少なくない。それは必ずしも大企業に限られたことではない。
混迷する状況下において、今なお、小規模ながらもしっかり生き続けている企業群がある。ここでは、これらの企業の経営者に対して直接インタビューを行い、彼らの経営方針や企業理念、従業員に対する考え方などを率直に語ってもらい、そこから、これからの時代を生き抜くために必要とされる経営者の資質について述べる。
それらは以下のようなものである。
① 誠実、正直、謙虚であること。
② 歴史を重んじ、先人に習い、その手法を受け継ぐとともに、これをさらに発展させ、今の時代に合ったやり方に変革させていく気概とたゆまぬ努力を怠らないこと。
③ 品質を重んじ、妥協のない品質の維持管理とその向上に努めること。
④ 技術に強く、技術に精通し、専門的見地に立った思考能力と判断力を有すること。
⑤ 失敗を恐れない大胆な行動力と、それを支える繊細で緻密な思考回路を有すること。
⑥ 従業員の力を十分に引き出せるような環境整備に努めること。
⑦ ユーモアとユニークな視点を欠かさないこと。
次代に求められるトップ経営者の役割と資質
慶應義塾大学ビジネススクール
教授 高木晴夫
次の時代のトップ経営者はいかにあるべきか.企業はその時代を反映し,トップ経営者はそれに応じねばならぬ.このテーマは,企業組織の研究者にとって最も重要であり,かつ極めて魅惑的である.幸運にも1998年度の筆者の研究室では優秀な研究室生に恵まれ,多くのトップ経営者と若手社員から研究協力を得ることができた.本稿ではこの研究成果を報告しつつ,新しい考え方と課題を提起する.(注1)
1.トップ経営者の新しい役割:「迅速に異質を統合する」
情報化とグローバル化が求めるのは,経営の迅速さであり,絶えず生じてくる異質を統合することである.環境の変化は激しく,突発的ですらある.昨日までの競争のルールが,今日になると新しくなる.この時代のプレーヤーたちはルールの変化を敏感に感じ取り,自らの経営行動を新しいルールに適合させていかねばならない.過去の成功が明日の成功に結びつくとは言えず,過去を否定し成功体験から脱却する「変革の経営」が必要になる.日本経済新聞社が1998年4月に日本企業の社長100人に行ったアンケートでは,21世紀に活力が持てる会社は「経営環境に応じて自らを変革できる企業」である.厳しい経営環境の中で自己変革能力が求められている.
一方アメリカ企業は,既に1980年代末に大変革の時代に突入した.その時期に,ハーバード大学ビジネススクールのバンシル教授は,外部者がCEOに就任する比率の高まりを調査して,次のように述べた.「激烈な競争社会にあって,すべての会社は連続性と変化の両方を兼ね備えなければならない.環境の変化は,古い仕事の仕方を変えるか-あるいは完全に放棄し-新しい仕事を覚えることを要求する.時にはある程度,不連続性の犠牲を払っても,変化のスピードを促進するためにトップに新鮮な人の目が必要とされる.」(注2)
10遅れでアメリカを追う日本企業では,圧倒的に内部出身のトップ経営者が多い.しかしここ数年,本業本流を歩んでこなかった人たち,例えば海外経験の長かった人,子会社で功績をあげた人,新規成長分野の立ち上げを実現した人,が後継社長に指名されるケースが注目を集めている.
企業変革の成功条件として,トップ経営者の「ビジョン」が必要であるのは当然だが,変革そのものを成し遂げる「変革力」が重要であるのも言うまでもない.これは,トップ経営者だけでなく,組織の中で変革を担う者も持たねばならぬ.彼らは明確な信念と意志とをもって物事を推し進め,自己否定さえ厭わない.多くの場合,彼らは組織における既存の行動様式・思考様式を否定し,「異端児」と見られる(注3).本業本流を歩んでこなかった人物がトップ経営者に抜擢されたとき,彼らの過去は異端児であったかも知れないし,「新鮮な目」を持つ人物に育った人だったのかも知れない.
2.変革の経営者が持つ資質:「起業家精神」
変革の経営者に関する研究をひもとくと,その中心に「起業家精神」(アントルプレナーシップ)が存在していることにたどり着く.例えば,既にシュンペーターはその著書『経済発展の理論』の中で起業家精神に関して述べている.「最適配分や均衡よりも,起業家によるイノベーションの発展がもたらす動的な不均衡こそ,経済の正常な姿である.起業家は洞察力を持って世の中の動きを見て取り,新しい製品,新しい生産方法,新しい組織といったイノベーションを行うことによって,経済発展の担い手となりうる」.ドラッカーも『イノベーションと起業家精神』の中で述べており,変革を行う経営者は「変化を当然のこと,さらに言えば健全なこととする」のである.
しかし庶民感覚からすると,起業家精神は不思議な感覚だ.わざわざ安定している経済を不均衡にし,変化を当然であるとすることは,一般凡人が持ち合わせない考えだ.日々の平穏を有り難く思い,安定した毎日を送ることが最高の幸せと感じる普通の人間にとって,起業家精神は,変化を起こす能力どころか,あたかも好んで不安定な生き方をし,安定していたものを捨て去りたくなる生き方のようだ.精神病理学を専門とし文化人類学の研究者でもある野田正彰氏は『経営者の人間探求』の中で,「困難と危機を敢えて作りそれを克服することで再構築してきた経営者は,その結果,それをよしとする」ことを指摘している.変化の中に生きることが起業家精神の本質のように思える.
3.変革の経営者の心理分析(注4)
起業家精神を理解するには,変革の経営者が持つ「安定と不安定を繰り返す」生き方と価値観を理解せねばならない.この目的のために,筆者の研究室では,19名の現役経営者から研究協力を得て,インタビュー調査と質問紙によるパーソナリティ調査を行った.19名の内訳は,マスコミなどでも報道され成果のある企業変革を行った「変革の経営者」5名,これと対比するために,ベンチャービジネスを立ち上げ成長させた「起業家経営者」6名,いわゆる社内昇進による「サラリーマン経営者」4名,そして「二代目経営者」4名である.インタビュー調査では,経営者の方々から生育歴,生き方,価値観を具体的な生の言葉でお聞きし,分析した.質問紙によるパーソナリティ調査では思考の傾向と行動の傾向に関する統計的分析を行った.分析結果の一覧を表に示してある.
3.1 不安定と同居したまま生きる自己
インタビュー調査結果は非常に興味深い.経営者の方々から得た具体的な言葉を分類することで,幼少期と社会人期(特に職業キャリアの前半期)での「不安定経験」のありなしにおいて,上記4種類の経営者分類に特徴的な傾向を見いだすことができた.「不安定経験」とは,幼少期の場合,両親の不和や離婚,親の病弱や死亡,家族の混乱や離散,あるいは戦争などで,子供にとって健全に生育できない不安定な家庭環境の経験である.社会人期でのそれは不本意な就職や配転,仕事上の失敗,事業の赤字などであり,いわゆる職業的な意味での失敗経験や不遇経験である.さらに不安定経験への対応において,幼少期と社会人期とで特徴を異にする.前者の場合,幼少ゆえ当然であるが,不安定に立ち向かっての克服でなく,不安定と同居したままの自己の形成であった.後者では,不安定に立ち向かいその後成功を収めることでの自己形成であった.
表から浮かび上がる点は,「変革の経営者」はすべて幼少期で不安定を内包する自己を形成し,かつ,社会人期での不安定経験の克服があった.「起業家経営者」と「サラリーマン経営者」の半数は,幼少期でそのような自己を形成したが社会人期ではまだ克服が明確になっていない.さらに「サラリーマン経営者」の半数と「二代目経営者」のほぼ全員は幼少期でも社会人期でも不安定経験をしていない.
つまり幼少期と社会人期での不安定経験とその対応による自己形成は,経営者の種類と関連性のある要因となっている.ここから言えることは,少なくとも幼少期において不安定経験のない者,つまり健全な家庭ですくすくと健康に生育した者は,変化の時代の経営者には向いていなさそうだということである.一方,不安定を内包する自己を幼少期に持たざるを得なかった者が,幸運にも社会人期で不安定経験に遭遇し克服ができると,変革の経営者になっていくようである.
もちろんこれは「その経験があるからその経営者になったのだ」という直接的因果関係を意味するものではない.むしろ,長い時間にわたる企業での生き残りと成功のプロセスとしての淘汰の傾向と考えるべきである.事前にそのような不安定経験があったこととその経営者になったこととは,ある意味で巡り合わせである.そこでの新たな経験がその経営者に必要な成長をもたらしたのであろうし,成長しなかった者はその経営者として継続できなかったのであろう.加えて,今回は考慮要因としなかったが,経営者に必要な基本的な知能レベルの高さも重要であることは論を待たない.
3.2 相反する心理を制御し行動を爆発させる
次に,経営者たちはどのような心理と行動の傾向を持っているか見るために,パーソナリティ調査を行った.彼らの幼少期と社会人期の不安定経験は現在の心理と行動の傾向を形作っているはずである(もちろん遺伝的要因とも関連して).調査データを因子分析をしたところ,「不安感を持っている」「自信感を持っている」という相反する2つの心理傾向の因子と,「燃え上がる行動をする」「計算した大胆行動をする」という異なる2つの迅速行動傾向の因子が浮かび上がった.(注5)
経営者の不安定経験との関連で見ると,「変革の経営者」のほぼ全員が不安感を持っておらず,自信感は普通か高い.つまり彼らは,幼少期に内包した不安感を社会人期の克服経験で得た自信感でバランスさせているのであろう.また彼らのとる行動傾向は計算した大胆さを強く示し,次の「起業家経営者」が示すキレた燃え上がり行動もある程度持っている.一人の変革の経営者は,2つの不安定経験をしたが,結果的に不安感も自信感も低くくしてしまい,存在感の薄い自己形成をしたようだ.その反動で,時として燃え上がる行動傾向を強く持っているのであろう.
「起業家経営者」の半数は幼少期に不安定経験をしており,社会人期では克服したかその途上である.注目すべきは,現在においても,彼らは非常に高い不安感と自信感を併存させており,不安定な心理構造を持っている.その行動傾向はキレて燃え上がる種類である.残りの半数は幼少期に不安定経験はなく,かつ社会人期に克服経験をしており,多くの変革の経営者に近い行動傾向を持っている.
「サラリーマン経営者」には,その代表傾向となるような全体的特徴は見られず,他の3つの経営者の特徴を散見して含んでいるようである.つまり,どのような会社での内部昇進かという個々の企業差の現れなのかも知れない.最後に,「二代目経営者」のほぼ全員は,本人が好んだかどうかは別として,不安定経験のない幼少期と社会人期を経ている.そのためか,起業家経営者に見たような高い不安感と自信感の相克はないようだ.一方,行動傾向的には,燃え上がる行動や計算した大胆行動の現れ方が個別的である.「二代目経営者」の個人差の大きさを表しているようだ.
3.3 「能力を育成する」から「成長できる遭遇」へ
この調査は,次代の経営者すなわち起業家精神を持つ者あるいは変革の経営者たる者を如何に得るかにおいて,極めて重要な示唆を与える.すなわち「ある特定の能力をもつように育成する」という考え方を適用すべきではないと言うことだ.起業家精神とは「他動詞:育成する」の対象物ではないのだ.それは,その人物が生きてきたことによる生き方であり,生き様であり,価値観である.さまざまな経験に遭遇することで,彼らはそのように生育し成長したのである.
調査から浮かび上がる一つの傾向は,彼らは人生の幼少期で不安定経験をし,不安を内包する自己を形成した.その後社会人になり職業的な成功経験を積む機会に遭遇できたことで自信を持ち,計算した大胆行動をとるようになった.しかも場合によっては燃えるように行動する.これが変革の経営者に見る「変化を当然のこと,さらに言えば健全なこととする」生き方なのであろう.
起業家精神には「育成する」という概念が当てはまらないのだから,「成長させる」機会を如何に与えるかという概念で考えねばならない.いやもっと正確に言えば,「成長できる」機会に如何にして「遭遇」できるようにするか,である.
4.現代の若者は起業家精神の宝庫
それでは,ゆくゆく「変革の経営者」の予備軍に加わるであろう現代の若者は起業家精神(の芽)をどのように持っているのか.現代の若者を代表させる意味で,若手社員と学生の合計647名について,3.2よりも一層詳細なパーソナリティ分析の質問紙調査を行った(注6).この質問紙は,現代社会で問題になることの多い「アダルトチルドレン」の特徴を彼らがどの程度持っているかを調べるために設計したものである.アダルトチルドレンとは,「安全な場所」として機能しない家族,つまり子どもにとってトラウマ(心的外傷)が生じてしまう家族,のなかで育った人々のことである.家族に関するこの特徴は,変革の経営者たちが幼少期において経験した不安定な出来事と同じ範疇に入るのは言うまでもない.
若手社員と学生のデータを分析したところ,彼らは非常に低いから非常に高いまでのさまざまな度合いで「アダルトチルドレン」の特徴を持っており,平均すると大多数の項目において高い傾向を示した.さらに因子分析を行ったところ,彼らは,経営者たちの分析で得たのと全く同じ「不安感がある」「自信感がある」という相反する2つの因子を持っていた.(注7)
すなわち大多数の現代の若者は,程度は多様であろうが,変革の経営者で見たような幼少期における不安定経験をしており,不安を内包したままの自己を確立をしている.彼らが経営者予備軍となるまでの社会人期(すなわち職業キャリアの前半期)において,如何なる不安定経験に遭遇しそれを克服できるかが,彼らをして「変革の経営者」ならしめるのであろう.ここにこそ,起業家精神を如何に「育成する」かの考え方でなく,不安を内包し相反する心理軸を持った若い人々は「成長できる」機会に如何に遭遇できるか,の考え方の必要性がある.
5.「沖縄アクターズスクール」の仕組みが示唆するもの
現代の若い人々は「アダルトチルドレン」の特徴を大なり小なり持っているのであり,この中に変革の経営者になっていく者がいる.彼らにとって「成長できる遭遇」を如何に設定するか.これを考える上で,マキノ正幸氏による「沖縄アクターズスクール」の仕組みづくりが示唆的である(注8).沖縄アクターズスクールは沖縄県那覇市にある芸能学校で,安室奈美恵,MAX,SPEEDなどの人気スターを輩出している.
校長のマキノ氏が重視する方針は,子供の持っている才能を発見して本人に伝え,あとは本人が自立するのを待つ,ことである.子供が自分で発想することを促し,目的意識を持てるような環境を子供達に与える.そして子供達が真剣にやりたいと思ったことを手助けする.本人がおもしろいと感じないことはやらせても続かないのだから,やらせない.大人が決めつけるのではなく,子供の感性を尊重し自信を持たせ,納得させたうえで自由にやらせる.
沖縄アクターズスクールの価値観は「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」である.他の人ができないことを見つけ,その点では誰にも負けないようにする.「ナンバーワン」だと勝者は一人になるが,「オンリーワン」なら全員が勝者となる.加えてマキノ氏は次のように指摘する.「現実的には,評価基準に合わない人間を“排除”するしかありません.そしてそれを見た周囲の子が,“どのような行動をするとそうなるのか”について学ぶのです.それに,ここで排除されたといっても,たまたまここの仕組みに合わなかったというだけで,その人のすべてが否定されたわけではないのですから,もっと活躍できる別の道を探せばいいのです.だから,辞めていく子もいっぱいいます.でもそれでいいと思うのです.イヤならやめればいい.何でも挑戦して,だめだと思ったらやめればいい.やめることも勇気です.」
この考えの背景には,マキノ正幸氏自身が社会人期において不安定経験を克服した事実がある.マキノ氏は両親の離婚による幼少期の不安定経験を非常に大きく持っている.そして不安を内包したまま50年間思うような人生が送れず,しかしそこで終わらないで,ついに自分の生きる道を見出した克服経験である.この経験は「誰しもいずれは必ず何かしら自分の適性を見つけて勝者になる」という信念に結実している.
マキノ氏は「キレる」若者について次のように指摘した.「キレる若者に二種類あって,一つは,ただ訳もなくムシャクシャしてキレてしまう人.もう一つは,自分のことも周囲のこともよく把握していて,自分にふさわしい場がないと感じ,キレる人.私がなんとかしてあげたいのは後者です.才能はあるが,今のシステムの中では活かされていない子を選び,そしてそのシステムを変え,その子に応じて環境を整え,そこで持てるエネルギーを発散させることが,私の求める『爆発を伴ってキレる』ということなのです.例えば安室奈美恵の場合も,意識して『爆発を伴ってキレる』ように鍛えました.ステージに立ったら,ライトがつく前からカーッとテンションを上げていって,パッとついたときにガア―といって,自分に与えられた時間をとことんお客さんに向かって攻めていく習慣をつけさせたのです.」
6.疑似偶然を作ることによる育成
「能力を育成する」から「成長できる遭遇」へ考え方を変えるとしても,組織としての操作的な手だてが必要だ.遭遇とは偶然の出会いであり,このままだとマネジメントの入り込む余地がない.しかし,組織として擬似的に偶然をつり出し「成長できる遭遇」の機会を増やす仕組みが可能であると思う.変革の経営者たちは社会人期(職業キャリアの前半期)で何らかの偶然による不安定経験の克服を得て,過去の不安定経験の清算はできないが,それを上回る新しい自己を「獲得できてしまった」.マキノ正幸氏もそうである.そして彼は,沖縄アクターズスクールの仕組みを作り,現代の子供たちに向け,持ってしまった不安定経験を上回る自己確立に遭遇する機会を可能な限り多くすることにおいて成功している.これは疑似偶然を作り出していることだ.企業は従来から能力研修ばかり行ってきたが,新しい自己を獲得するという意味での不安定経験の克服(時として厳しく,キャリア転換を強いるような経験)が生じる可能性を秘めた人材育成の仕組みも可能のはずだ.いや,次代のトップ経営者の育成を目指すことにおいてこそ疑似偶然を作りだす必要がある.自己確立の自然発生頻度を上回るようにすることが彼らの育成につながる.
(注)
(1)本論は3名の高木研究室生(一守靖,岩崎三枝子,小平滋)との共同研究に追うところが大きい.記して謝意を表する.また研究に協力して下さった多くのトップ経営者と若い世代の人々に対しても心からお礼申し上げる.
(2)リチャード・F・バンシル著「アメリカ企業のトップ交代劇のベールをはぐ」(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス,1987年10-11月号).リチャード・F・バンシル著「後継経営者の条件-決定プロセスとその法則性」(諸野幸雄・高梨直子訳,中央経済社,1996年).
(3)組織内の異端児に関しては次の論文に詳しい.小平滋著「『異端児』人材-その組織変革への適用可能性-」(慶應義塾大学大学院経営管理研究科1998年度修士論文).
(4)この項は次の研究をもとにしている.岩崎三枝子著「『変革の経営者』のパーソナリティに関する研究-起業家精神は変革の条件か-」(慶應義塾大学大学院経営管理研究科1998年度修士論文).
(5)経営者のパーソナリティ分析では他に「周囲を気にする」という因子も見つかったが,ほとんどの経営者たちはこの因子を低く持っており,本稿では考察を省いている.一方,4項に述べる若い世代の人々の分析では他に「周囲を気にする」「平静なフリをする」という相克的な2因子が見つかった.彼らはこの2因子についても同様に高低様々な度合いで持っており,経営者たちが「周囲を気にする」因子を概して低く持っていたのと対照的である.おそらく多くの経営者たちは人生経験を積んで自分らしく生きるようになったのであろう.しかし本論で述べたように,「不安感がある」「自信感がある」の相反する心理については,それらを併存させたままの経営者になる場合が少なからずあるのである.
(6)この調査は次の2つの論文に詳しい.高木晴夫・一守靖著「情報化時代の企業競争を勝ち抜ける人材-今日的若手社員の特性とその活用に関する実証研究-」(慶應経営論集,第16巻第2号,1999年出版予定),一守靖著「今日的アイデンティティ形成と組織マネジメント-アダルトチルドレンの特徴を持つ人々の活用に関する一考察-」(慶應義塾大学大学院経営管理研究科1998年度修士論文).
(7)5を見よ.
(8)沖縄アクターズスクールの事例調査は6に示す論文に詳しい.
慶應義塾大学ビジネススクール
教授 高木晴夫
次の時代のトップ経営者はいかにあるべきか.企業はその時代を反映し,トップ経営者はそれに応じねばならぬ.このテーマは,企業組織の研究者にとって最も重要であり,かつ極めて魅惑的である.幸運にも1998年度の筆者の研究室では優秀な研究室生に恵まれ,多くのトップ経営者と若手社員から研究協力を得ることができた.本稿ではこの研究成果を報告しつつ,新しい考え方と課題を提起する.(注1)
1.トップ経営者の新しい役割:「迅速に異質を統合する」
情報化とグローバル化が求めるのは,経営の迅速さであり,絶えず生じてくる異質を統合することである.環境の変化は激しく,突発的ですらある.昨日までの競争のルールが,今日になると新しくなる.この時代のプレーヤーたちはルールの変化を敏感に感じ取り,自らの経営行動を新しいルールに適合させていかねばならない.過去の成功が明日の成功に結びつくとは言えず,過去を否定し成功体験から脱却する「変革の経営」が必要になる.日本経済新聞社が1998年4月に日本企業の社長100人に行ったアンケートでは,21世紀に活力が持てる会社は「経営環境に応じて自らを変革できる企業」である.厳しい経営環境の中で自己変革能力が求められている.
一方アメリカ企業は,既に1980年代末に大変革の時代に突入した.その時期に,ハーバード大学ビジネススクールのバンシル教授は,外部者がCEOに就任する比率の高まりを調査して,次のように述べた.「激烈な競争社会にあって,すべての会社は連続性と変化の両方を兼ね備えなければならない.環境の変化は,古い仕事の仕方を変えるか-あるいは完全に放棄し-新しい仕事を覚えることを要求する.時にはある程度,不連続性の犠牲を払っても,変化のスピードを促進するためにトップに新鮮な人の目が必要とされる.」(注2)
10遅れでアメリカを追う日本企業では,圧倒的に内部出身のトップ経営者が多い.しかしここ数年,本業本流を歩んでこなかった人たち,例えば海外経験の長かった人,子会社で功績をあげた人,新規成長分野の立ち上げを実現した人,が後継社長に指名されるケースが注目を集めている.
企業変革の成功条件として,トップ経営者の「ビジョン」が必要であるのは当然だが,変革そのものを成し遂げる「変革力」が重要であるのも言うまでもない.これは,トップ経営者だけでなく,組織の中で変革を担う者も持たねばならぬ.彼らは明確な信念と意志とをもって物事を推し進め,自己否定さえ厭わない.多くの場合,彼らは組織における既存の行動様式・思考様式を否定し,「異端児」と見られる(注3).本業本流を歩んでこなかった人物がトップ経営者に抜擢されたとき,彼らの過去は異端児であったかも知れないし,「新鮮な目」を持つ人物に育った人だったのかも知れない.
2.変革の経営者が持つ資質:「起業家精神」
変革の経営者に関する研究をひもとくと,その中心に「起業家精神」(アントルプレナーシップ)が存在していることにたどり着く.例えば,既にシュンペーターはその著書『経済発展の理論』の中で起業家精神に関して述べている.「最適配分や均衡よりも,起業家によるイノベーションの発展がもたらす動的な不均衡こそ,経済の正常な姿である.起業家は洞察力を持って世の中の動きを見て取り,新しい製品,新しい生産方法,新しい組織といったイノベーションを行うことによって,経済発展の担い手となりうる」.ドラッカーも『イノベーションと起業家精神』の中で述べており,変革を行う経営者は「変化を当然のこと,さらに言えば健全なこととする」のである.
しかし庶民感覚からすると,起業家精神は不思議な感覚だ.わざわざ安定している経済を不均衡にし,変化を当然であるとすることは,一般凡人が持ち合わせない考えだ.日々の平穏を有り難く思い,安定した毎日を送ることが最高の幸せと感じる普通の人間にとって,起業家精神は,変化を起こす能力どころか,あたかも好んで不安定な生き方をし,安定していたものを捨て去りたくなる生き方のようだ.精神病理学を専門とし文化人類学の研究者でもある野田正彰氏は『経営者の人間探求』の中で,「困難と危機を敢えて作りそれを克服することで再構築してきた経営者は,その結果,それをよしとする」ことを指摘している.変化の中に生きることが起業家精神の本質のように思える.
3.変革の経営者の心理分析(注4)
起業家精神を理解するには,変革の経営者が持つ「安定と不安定を繰り返す」生き方と価値観を理解せねばならない.この目的のために,筆者の研究室では,19名の現役経営者から研究協力を得て,インタビュー調査と質問紙によるパーソナリティ調査を行った.19名の内訳は,マスコミなどでも報道され成果のある企業変革を行った「変革の経営者」5名,これと対比するために,ベンチャービジネスを立ち上げ成長させた「起業家経営者」6名,いわゆる社内昇進による「サラリーマン経営者」4名,そして「二代目経営者」4名である.インタビュー調査では,経営者の方々から生育歴,生き方,価値観を具体的な生の言葉でお聞きし,分析した.質問紙によるパーソナリティ調査では思考の傾向と行動の傾向に関する統計的分析を行った.分析結果の一覧を表に示してある.
3.1 不安定と同居したまま生きる自己
インタビュー調査結果は非常に興味深い.経営者の方々から得た具体的な言葉を分類することで,幼少期と社会人期(特に職業キャリアの前半期)での「不安定経験」のありなしにおいて,上記4種類の経営者分類に特徴的な傾向を見いだすことができた.「不安定経験」とは,幼少期の場合,両親の不和や離婚,親の病弱や死亡,家族の混乱や離散,あるいは戦争などで,子供にとって健全に生育できない不安定な家庭環境の経験である.社会人期でのそれは不本意な就職や配転,仕事上の失敗,事業の赤字などであり,いわゆる職業的な意味での失敗経験や不遇経験である.さらに不安定経験への対応において,幼少期と社会人期とで特徴を異にする.前者の場合,幼少ゆえ当然であるが,不安定に立ち向かっての克服でなく,不安定と同居したままの自己の形成であった.後者では,不安定に立ち向かいその後成功を収めることでの自己形成であった.
表から浮かび上がる点は,「変革の経営者」はすべて幼少期で不安定を内包する自己を形成し,かつ,社会人期での不安定経験の克服があった.「起業家経営者」と「サラリーマン経営者」の半数は,幼少期でそのような自己を形成したが社会人期ではまだ克服が明確になっていない.さらに「サラリーマン経営者」の半数と「二代目経営者」のほぼ全員は幼少期でも社会人期でも不安定経験をしていない.
つまり幼少期と社会人期での不安定経験とその対応による自己形成は,経営者の種類と関連性のある要因となっている.ここから言えることは,少なくとも幼少期において不安定経験のない者,つまり健全な家庭ですくすくと健康に生育した者は,変化の時代の経営者には向いていなさそうだということである.一方,不安定を内包する自己を幼少期に持たざるを得なかった者が,幸運にも社会人期で不安定経験に遭遇し克服ができると,変革の経営者になっていくようである.
もちろんこれは「その経験があるからその経営者になったのだ」という直接的因果関係を意味するものではない.むしろ,長い時間にわたる企業での生き残りと成功のプロセスとしての淘汰の傾向と考えるべきである.事前にそのような不安定経験があったこととその経営者になったこととは,ある意味で巡り合わせである.そこでの新たな経験がその経営者に必要な成長をもたらしたのであろうし,成長しなかった者はその経営者として継続できなかったのであろう.加えて,今回は考慮要因としなかったが,経営者に必要な基本的な知能レベルの高さも重要であることは論を待たない.
3.2 相反する心理を制御し行動を爆発させる
次に,経営者たちはどのような心理と行動の傾向を持っているか見るために,パーソナリティ調査を行った.彼らの幼少期と社会人期の不安定経験は現在の心理と行動の傾向を形作っているはずである(もちろん遺伝的要因とも関連して).調査データを因子分析をしたところ,「不安感を持っている」「自信感を持っている」という相反する2つの心理傾向の因子と,「燃え上がる行動をする」「計算した大胆行動をする」という異なる2つの迅速行動傾向の因子が浮かび上がった.(注5)
経営者の不安定経験との関連で見ると,「変革の経営者」のほぼ全員が不安感を持っておらず,自信感は普通か高い.つまり彼らは,幼少期に内包した不安感を社会人期の克服経験で得た自信感でバランスさせているのであろう.また彼らのとる行動傾向は計算した大胆さを強く示し,次の「起業家経営者」が示すキレた燃え上がり行動もある程度持っている.一人の変革の経営者は,2つの不安定経験をしたが,結果的に不安感も自信感も低くくしてしまい,存在感の薄い自己形成をしたようだ.その反動で,時として燃え上がる行動傾向を強く持っているのであろう.
「起業家経営者」の半数は幼少期に不安定経験をしており,社会人期では克服したかその途上である.注目すべきは,現在においても,彼らは非常に高い不安感と自信感を併存させており,不安定な心理構造を持っている.その行動傾向はキレて燃え上がる種類である.残りの半数は幼少期に不安定経験はなく,かつ社会人期に克服経験をしており,多くの変革の経営者に近い行動傾向を持っている.
「サラリーマン経営者」には,その代表傾向となるような全体的特徴は見られず,他の3つの経営者の特徴を散見して含んでいるようである.つまり,どのような会社での内部昇進かという個々の企業差の現れなのかも知れない.最後に,「二代目経営者」のほぼ全員は,本人が好んだかどうかは別として,不安定経験のない幼少期と社会人期を経ている.そのためか,起業家経営者に見たような高い不安感と自信感の相克はないようだ.一方,行動傾向的には,燃え上がる行動や計算した大胆行動の現れ方が個別的である.「二代目経営者」の個人差の大きさを表しているようだ.
3.3 「能力を育成する」から「成長できる遭遇」へ
この調査は,次代の経営者すなわち起業家精神を持つ者あるいは変革の経営者たる者を如何に得るかにおいて,極めて重要な示唆を与える.すなわち「ある特定の能力をもつように育成する」という考え方を適用すべきではないと言うことだ.起業家精神とは「他動詞:育成する」の対象物ではないのだ.それは,その人物が生きてきたことによる生き方であり,生き様であり,価値観である.さまざまな経験に遭遇することで,彼らはそのように生育し成長したのである.
調査から浮かび上がる一つの傾向は,彼らは人生の幼少期で不安定経験をし,不安を内包する自己を形成した.その後社会人になり職業的な成功経験を積む機会に遭遇できたことで自信を持ち,計算した大胆行動をとるようになった.しかも場合によっては燃えるように行動する.これが変革の経営者に見る「変化を当然のこと,さらに言えば健全なこととする」生き方なのであろう.
起業家精神には「育成する」という概念が当てはまらないのだから,「成長させる」機会を如何に与えるかという概念で考えねばならない.いやもっと正確に言えば,「成長できる」機会に如何にして「遭遇」できるようにするか,である.
4.現代の若者は起業家精神の宝庫
それでは,ゆくゆく「変革の経営者」の予備軍に加わるであろう現代の若者は起業家精神(の芽)をどのように持っているのか.現代の若者を代表させる意味で,若手社員と学生の合計647名について,3.2よりも一層詳細なパーソナリティ分析の質問紙調査を行った(注6).この質問紙は,現代社会で問題になることの多い「アダルトチルドレン」の特徴を彼らがどの程度持っているかを調べるために設計したものである.アダルトチルドレンとは,「安全な場所」として機能しない家族,つまり子どもにとってトラウマ(心的外傷)が生じてしまう家族,のなかで育った人々のことである.家族に関するこの特徴は,変革の経営者たちが幼少期において経験した不安定な出来事と同じ範疇に入るのは言うまでもない.
若手社員と学生のデータを分析したところ,彼らは非常に低いから非常に高いまでのさまざまな度合いで「アダルトチルドレン」の特徴を持っており,平均すると大多数の項目において高い傾向を示した.さらに因子分析を行ったところ,彼らは,経営者たちの分析で得たのと全く同じ「不安感がある」「自信感がある」という相反する2つの因子を持っていた.(注7)
すなわち大多数の現代の若者は,程度は多様であろうが,変革の経営者で見たような幼少期における不安定経験をしており,不安を内包したままの自己を確立をしている.彼らが経営者予備軍となるまでの社会人期(すなわち職業キャリアの前半期)において,如何なる不安定経験に遭遇しそれを克服できるかが,彼らをして「変革の経営者」ならしめるのであろう.ここにこそ,起業家精神を如何に「育成する」かの考え方でなく,不安を内包し相反する心理軸を持った若い人々は「成長できる」機会に如何に遭遇できるか,の考え方の必要性がある.
5.「沖縄アクターズスクール」の仕組みが示唆するもの
現代の若い人々は「アダルトチルドレン」の特徴を大なり小なり持っているのであり,この中に変革の経営者になっていく者がいる.彼らにとって「成長できる遭遇」を如何に設定するか.これを考える上で,マキノ正幸氏による「沖縄アクターズスクール」の仕組みづくりが示唆的である(注8).沖縄アクターズスクールは沖縄県那覇市にある芸能学校で,安室奈美恵,MAX,SPEEDなどの人気スターを輩出している.
校長のマキノ氏が重視する方針は,子供の持っている才能を発見して本人に伝え,あとは本人が自立するのを待つ,ことである.子供が自分で発想することを促し,目的意識を持てるような環境を子供達に与える.そして子供達が真剣にやりたいと思ったことを手助けする.本人がおもしろいと感じないことはやらせても続かないのだから,やらせない.大人が決めつけるのではなく,子供の感性を尊重し自信を持たせ,納得させたうえで自由にやらせる.
沖縄アクターズスクールの価値観は「ナンバーワン」ではなく「オンリーワン」である.他の人ができないことを見つけ,その点では誰にも負けないようにする.「ナンバーワン」だと勝者は一人になるが,「オンリーワン」なら全員が勝者となる.加えてマキノ氏は次のように指摘する.「現実的には,評価基準に合わない人間を“排除”するしかありません.そしてそれを見た周囲の子が,“どのような行動をするとそうなるのか”について学ぶのです.それに,ここで排除されたといっても,たまたまここの仕組みに合わなかったというだけで,その人のすべてが否定されたわけではないのですから,もっと活躍できる別の道を探せばいいのです.だから,辞めていく子もいっぱいいます.でもそれでいいと思うのです.イヤならやめればいい.何でも挑戦して,だめだと思ったらやめればいい.やめることも勇気です.」
この考えの背景には,マキノ正幸氏自身が社会人期において不安定経験を克服した事実がある.マキノ氏は両親の離婚による幼少期の不安定経験を非常に大きく持っている.そして不安を内包したまま50年間思うような人生が送れず,しかしそこで終わらないで,ついに自分の生きる道を見出した克服経験である.この経験は「誰しもいずれは必ず何かしら自分の適性を見つけて勝者になる」という信念に結実している.
マキノ氏は「キレる」若者について次のように指摘した.「キレる若者に二種類あって,一つは,ただ訳もなくムシャクシャしてキレてしまう人.もう一つは,自分のことも周囲のこともよく把握していて,自分にふさわしい場がないと感じ,キレる人.私がなんとかしてあげたいのは後者です.才能はあるが,今のシステムの中では活かされていない子を選び,そしてそのシステムを変え,その子に応じて環境を整え,そこで持てるエネルギーを発散させることが,私の求める『爆発を伴ってキレる』ということなのです.例えば安室奈美恵の場合も,意識して『爆発を伴ってキレる』ように鍛えました.ステージに立ったら,ライトがつく前からカーッとテンションを上げていって,パッとついたときにガア―といって,自分に与えられた時間をとことんお客さんに向かって攻めていく習慣をつけさせたのです.」
6.疑似偶然を作ることによる育成
「能力を育成する」から「成長できる遭遇」へ考え方を変えるとしても,組織としての操作的な手だてが必要だ.遭遇とは偶然の出会いであり,このままだとマネジメントの入り込む余地がない.しかし,組織として擬似的に偶然をつり出し「成長できる遭遇」の機会を増やす仕組みが可能であると思う.変革の経営者たちは社会人期(職業キャリアの前半期)で何らかの偶然による不安定経験の克服を得て,過去の不安定経験の清算はできないが,それを上回る新しい自己を「獲得できてしまった」.マキノ正幸氏もそうである.そして彼は,沖縄アクターズスクールの仕組みを作り,現代の子供たちに向け,持ってしまった不安定経験を上回る自己確立に遭遇する機会を可能な限り多くすることにおいて成功している.これは疑似偶然を作り出していることだ.企業は従来から能力研修ばかり行ってきたが,新しい自己を獲得するという意味での不安定経験の克服(時として厳しく,キャリア転換を強いるような経験)が生じる可能性を秘めた人材育成の仕組みも可能のはずだ.いや,次代のトップ経営者の育成を目指すことにおいてこそ疑似偶然を作りだす必要がある.自己確立の自然発生頻度を上回るようにすることが彼らの育成につながる.
(注)
(1)本論は3名の高木研究室生(一守靖,岩崎三枝子,小平滋)との共同研究に追うところが大きい.記して謝意を表する.また研究に協力して下さった多くのトップ経営者と若い世代の人々に対しても心からお礼申し上げる.
(2)リチャード・F・バンシル著「アメリカ企業のトップ交代劇のベールをはぐ」(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス,1987年10-11月号).リチャード・F・バンシル著「後継経営者の条件-決定プロセスとその法則性」(諸野幸雄・高梨直子訳,中央経済社,1996年).
(3)組織内の異端児に関しては次の論文に詳しい.小平滋著「『異端児』人材-その組織変革への適用可能性-」(慶應義塾大学大学院経営管理研究科1998年度修士論文).
(4)この項は次の研究をもとにしている.岩崎三枝子著「『変革の経営者』のパーソナリティに関する研究-起業家精神は変革の条件か-」(慶應義塾大学大学院経営管理研究科1998年度修士論文).
(5)経営者のパーソナリティ分析では他に「周囲を気にする」という因子も見つかったが,ほとんどの経営者たちはこの因子を低く持っており,本稿では考察を省いている.一方,4項に述べる若い世代の人々の分析では他に「周囲を気にする」「平静なフリをする」という相克的な2因子が見つかった.彼らはこの2因子についても同様に高低様々な度合いで持っており,経営者たちが「周囲を気にする」因子を概して低く持っていたのと対照的である.おそらく多くの経営者たちは人生経験を積んで自分らしく生きるようになったのであろう.しかし本論で述べたように,「不安感がある」「自信感がある」の相反する心理については,それらを併存させたままの経営者になる場合が少なからずあるのである.
(6)この調査は次の2つの論文に詳しい.高木晴夫・一守靖著「情報化時代の企業競争を勝ち抜ける人材-今日的若手社員の特性とその活用に関する実証研究-」(慶應経営論集,第16巻第2号,1999年出版予定),一守靖著「今日的アイデンティティ形成と組織マネジメント-アダルトチルドレンの特徴を持つ人々の活用に関する一考察-」(慶應義塾大学大学院経営管理研究科1998年度修士論文).
(7)5を見よ.
(8)沖縄アクターズスクールの事例調査は6に示す論文に詳しい.
도움이 될란지?ㅎㅎ
요즘은 시헌공부에 바쁘지?
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댄다이 댄다이 감사함다.........이민재씨!!!!!!!!!
아침에 집을나올때 피뜩본게..오빠 두쪽에 다 코멘트 달아줬겠구나...어찌나 기쁘던지ㅎㅎ
여기껀 아직 읽어는 안봤지만..일단 인사쯔해내고 상세히 읽어볼깨여......
고마워요...바쁘실텐데.......
요샌 시험때문에 막 미칠것같아요....ㅎㅎㅎ후학기 단위를 많이 타려고 정신없이 38개나 선택했거든요.....ㅎㅎㅎㅎ열심히 해서 다 타야지......
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열씸히해 `~ 난 널 응원한다~

「一株あたり資本+配当の現在価値」でいいのでしょうか?
株式の価値・・・古くて新しい問題です。普段の株式市場で私たちは、株価の水準を判断する上で「この銘柄は割安だ」、「こちらの銘柄は割高に見える」などとごく普通に言い表しています。この時、株価が割高(割安)と判断する時の判断基準は、いったい何を用いているのでしょうか。
一般的に、割高(割安)の判断には、PER(株価収益率)が用いられることが多いようです。これは、その企業の一株当たり利益に対して、株価が何倍まで買われているかを示した投資指標です。
A社は一株当たり利益が50円で、この時の株価は1000円でした。この場合、A社のPERは20倍ということになります(1000円÷50円=20倍)。また同じ業界のB社は一株当たり利益が50円で(A社と同じ)、株価は2000円でした。この場合、B社のPERは40倍ということになります(2000円÷50円=40倍)。
ほかのすべての条件が同じだとしたら、2000円のB社は1000円のA社よりも割高だということになります。しかし通常は、2つの企業の条件がすべて同じということはほとんどなく、2000円のB社の株価も1000円のA社の株価も、それなりに妥当なものであるということになります。
割高、割安という表現があるのなら、株価には基準になるべき適正価格というものがあるはずです。理論価格と言ってもよいでしょう。日立やNTT、三井不動産という日々変化している企業体に、理論株価というものが存在するのでしょうか。
別の言い方をすれば、2000円のB社の株価と1000円のA社の株価の差はどこから生じてくるのでしょうか。このような問題が「株式の価値」です。これらを研究テーマとしている領域が証券分析、証券投資論というものです。証券の適正価格を探り出す領域は、掘り下げていけばオプションの理論価格を決定する金融工学につながってゆきます。
日本証券アナリスト協会が認定している「証券アナリスト」資格の検定試験は、「証券分析とポートフォリオ・マネジメント」、「財務分析」、「経済」の3科目で構成されていて、この中の「証券分析」で株式の価値が扱われています。株式の価値の算定法は有力説が何種類かあって、厳密に突き詰めてゆくとそれらはいずれもかなりむずかしい理屈になります。
その中で最も一般的な理論を2つ紹介します。
(1)、純資産法
貸借対照表上の「一株当たり純資産」が株式の価値を表す、という考え方です。貸借対照表の純資産は自己資本、株主資本とも呼ばれますが、そこには資本金、資本剰余金、利益剰余金が含まれます。
理論株価=1株当たり純資産
株主が出資した資金は、すべて資本金と資本剰余金に分けて示されます。また、企業が稼ぎ出した利益は利益剰余金として社内に積み立てられています。これらを合計したものが株主の持ち分である、という考えに基づいて、ここでは「一株当たり純資産」が株式の価値を表すものとしています。この考え方はPBR(株価純資産倍率)の考え方につながってゆきます。
(2)、配当割引モデル
株式の価値は、その企業が今年以降、将来にわたって支払い続ける配当金の総額に等しい、という考え方です。ある投資家が、投資先の企業の株式を長い期間にわたって保有し続けた場合、その間に受け取ることになった配当金の総額が、最初に投資した時の理論株価になるわけです。
配当割引モデルの考え方で大きなポイントとなるのは、将来の配当金を現在の金額に「割り引いて」合計するという点です。「割り引く」ということは・・・
たとえば今の金利が2.0%とした場合、現在の100円は1年後には102円になります(100円×1.02=102円)。この関係を逆に考えると、金利と配当金が将来にわたって変わらないとした場合、1年後に支払われる配当金100円は、現在は98.04円であることになります(100円÷1.02=98.039円)。同じように2年後に支払われる配当金100円は、現在は96.12円のはずです(100円÷1.02÷1.02=96.116円)。
このように、将来受け取るはずの100円を、現在の価値に計算し直す作業を「(現在価値に)割り引く」と呼んでいます。
配当割引モデルでは、このような計算を何年にもわたって繰り返し行って、それらをすべて合計します。そのように合計して求められた値が、すなわちい現在の理論株価、株式の価値になります。
金利はひんぱんに変動しますし、企業の配当金も年によって変わります。それを現時点ですべて予想して計算するのは非常にむずかしいのですが、米国ではこの配当割引モデルが広く定着しています。配当金を合計するだけではなく、予想利益を合計して求めたり、配当や利益の成長性を考慮したりして、より正確な理論株価を求める工夫もなされています。
冒頭のご質問にありました「一株あたり資本+配当の現在価値」の式は、(1)の純資産法に近いものですね。(2)の配当割引モデルにも少し似ていますが、惜しくも少しずつ違っていました。2000円のB社の株価と1000円のA社の株価の差がどこから生じているのか、なんとなくわかっていただけましたか(ここではなんとなくで結構です)。